堀江界隈の生い立ちと史跡探訪

大阪区民カレッジ西校最初の講座は「地元の歴史と文化をもっと知ろう①ー堀江界隈の生い立ちと文化、施設巡り」

講師は、まち歩きの著名なNPOまちらぼ代表 陸奥 賢先生の説明と施設の見学です。

1. 堀江界隈の生い立ちと文化、施設についてのガイダンスを教室で講義を受け、予備知識を得てまち歩きに出かけました。

 小雨のあいにくの環境下でしたが、初めての発見も多く地元の文化を知る良い機会になりました。

 

〇 土佐稲荷神社(三菱発祥の地岩崎家旧邸跡)

 かっては土佐藩蔵屋敷があり、米穀、材木、鰹節、和紙、砂糖など土佐の特産物が扱われました。江戸時代より桜の名所として有名になりました。明治2年(1869)、岩崎彌太郎が土佐藩の大阪事務所を指揮して汽船・武器の輸入に活躍。翌年、藩から独立した九十九商会を設立、船3隻を入手して海運業を始めました。明治6年(1873)3月、三菱商会と改称。これが三菱財閥の起こりです。土佐稲荷神社は三菱発祥の地で、岩崎彌太郎邸宅跡の碑があり、神社を囲む玉垣なども三菱系列の会社が寄進しています。

 

〇 あみだ池大黒

 文化2年(1805)創業。長堀川畔には西国大名らの蔵屋敷が建ち並び、年貢米を運んできた船が数多く停泊していました。あみだ池大黒の初代・小林林之助氏は、その船底にたまる余剰米に目をつけて、おこしの原料にすることを思いつきました。日露戦争時には、明治天皇より戦地への慰問品として送られる恩賜の菓子として阿弥陀池大黒のおこしが選ばれました。おこしは兵隊達の人気を博し、昭和20年(1945)まで宮内庁御用達となります。

 

〇 和光寺(阿弥陀池)

 

阿弥陀池は古代からあって、廃仏派の物部氏によって池に投げ捨てられた阿弥陀如来が、推古天皇6年(600)に信濃の住人・本田善光に拾われて彌善光寺まで運ばれたという言い伝えがあります。元禄11年(1698)、長野・善光寺から智善上人を迎えて、阿弥陀池のほとりに和光寺を建て、善光寺本堂に安置されていた阿弥陀仏を本尊としてお祀りしました。